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蝦夷農園

たとえ一食分でも汚染のない命の糧を・・・

(首都ハバナにて 2003.5)

世界中のエコロジストが注目するキューバ

第5回有機農業会議(2003年5月)
キューバ農林業技術協会主催
国内の農業省、研究機関、外国の政府、非政府機関(中南米各国、米、英、ヨーロッパ各国、韓国、日本)約500名が参加。

まだまだ課題の残された社会主義国キューバ。そんなキューバの未来を担っていくのは子供たち。人なつこく明るい笑顔が印象的でした。

オルガノポニコ

『オルガノポニコ』とはブロックや石、ベニヤ板や金属片で囲いを作り、その囲いの中に堆肥などを混ぜた土をいれ「カンテロ」と呼ばれる苗床の中で集中的に生鮮野菜の作付けを行う生産技術をいいます。

世界が注目するキューバの都市農園

カリブ海の真珠といわれるキューバはフロリダの南約145kmに横たわる東西に細長いカリブ海では最大の島。亜熱帯気候に属し年間の平均気温は25.5度。名作『老人と海』を書いた文豪アーネスト・ヘミングウェイもこの美しい島をこよなく愛しました。しかしそんな南米の美しい楽園は激動の歴史を歩んできたのです。

1492年コロンブスによって発見されたキューバは1511年以降およそ400年にわたるスペインの支配を経て1902年に独立します。しかし19世紀後半からサトウキビを求めて進出してきたアメリカに内政干渉権と軍事基地保有権を認めさせられるなど事実上はアメリカの保護下に置かれることになります。アメリカによる支配の打倒に立ち上がったカストロなどによるキューバ革命は1959年に成功をおさめます。以降、反米を基本に社会主義国としてソ連に接近、76年の国家評議会議長就任以来、党・軍・行政の全権はカストロの手にあります。62年にはソ連製のミサイル撤去をめぐってアメリカが海上を封鎖して抵抗するなど、いわゆるキューバ危機を招きました。
90年代に入るとソ連圏が崩壊し、1959年の革命以降続いているアメリカの経済封鎖の強化とのダブルパンチで石油、食料、石鹸などのような日常品にいたるまで何もかもが途絶するという非常事態に直面します。キューバは農業国でありながら、砂糖やコーヒーといった換金作物を輸出して、コメや小麦を輸入するという国際分業路線に乗っていたので、日本のように国内食料自給率は40%そこそこしかありませんでした。一歩舵取りを誤れば大量の餓死者を出しかねない事態でした。
ここでカストロは立ち上がりました。この危機的状況をなんとしても乗り切らねば…そしてその手段に選んだのは首都を耕すという非常手段だったのです。それも農薬や化学肥料を使わずに…。そして全くのゼロからスタートした都市農業が10数年を経てどうなったかというと、結果として一人の餓死者も出すことなく、かつ220万人を超す都市が有機農業で野菜を完全自給することに成功したのです。

農家に学ぶ研究員たち
キューバの都市農業が急速に発展を遂げた裏には世界でも類のない画期的で持続可能な農業技術を次々に編み出し実を結ばせていった農業研究所の研究員たちの絶え間ない日々の研究があります。以前は農薬や化学肥料を用いた大規模農業の研究に重きが置かれていたのは言うまでもありませんが経済危機以降、研究テーマは有機農業や都市農園に180度方向転換しました。国全体では200を超す研究所があり3万5千人もの研究者や技術者がいます。それも62%が女性で平均年齢は28歳というから驚きです。とくにバイオテクノロジーや医薬品の開発にかけては先進国に匹敵するかその上を行くとも言われています。

ハバナ市内の農産物直営店

虫食いの葉っぱは有機栽培の証

国営農場で作業するオーナーと18歳の少年

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キューバの有機栽培についてもっと知りたい!こちら http://members.jcom.home.ne.jp/cuba/index.htm
                     
キューバの有機栽培に関する著書を多数出版されている吉田太郎氏のサイトです。

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